故郷は開かれた場所
足元のトレイルはいかにして私たちをそこにいさせてくれるか。
全ての写真:michael a. estrada
ウォーミングアップから道路を離れてトレイルに踏み込むまでの走りは、必然的に単純なものから複雑な走りへと導かれ、私の歩調のリズムは自然と調和し、声をそろえて叫ぶようになる。それはまるで、母なる地球が鍛えられた足と古代の大地を完全に融合させることで、より高い意識を生み出すかのようだ。私は邪魔しない。意図されたとおり、私はすべての一部にすぎない。
その瞬間においては、私が黒人であることすら関係ない。私はただ周囲の世界に属しているだけ。
足元につづくトレイルと調和することへの熱い思いは、私をさまざまな感情に没頭させつづけようとする。不確かな感情の混沌に巻き込まれながらも、開かれた地形が私をトレイルに引き戻しつづけてくれる。最初はあれほど脅威的に思えたトレイルランニングの場所が、最も自由を感じられる場所になるなんて不思議なものだ。それが道路のない広大なモハーヴェ砂漠であろうと、グリフィス・パークの人目につきにくい自然であろうと、太陽の降り注ぐバーダゴ山地であろうと。ひとつを除いて、すべてがカリフォルニア州ロサンゼルスの私の質素な家からすぐのところにある。
母がいてくれなかったら、私がこのような自然のトレイルに安らぎを見出すことは決してなかっただろう。母は私に教えてくれた。一見差別的に思える場所にある、私が存在するに値するという感覚を。黒人社会には、「ここは白人の」として、ある種の場所を避ける傾向がある。これを口に出すことは、黒人は存在すべきではないと言っているようなものだ。私の母はこの言葉を口にしたことはない。母親というものは、子どもが元気がなくなっているのに気づく特別な能力を備えている。その理由がわからなくとも、解決法がある場合もある。母は私をサウス・セントラル・ロサンゼルスから引きはなし、アップルバレーから160キロ東に位置するモハーヴェ砂漠の南端部へと移らせた。母のおかげで、私は自分の存在を実感することができた。
イングルウッドの不安定な環境で育った私は、意識を尖らす必要があった。その結果、私はいまでも周囲を意識することに敏感だ。生き抜くために起こったことが、砂漠に住みながらも利用できる手段となった。つねに二歩先を見て、予測できる危険も実際の危険も回避するのだ。そしてすぐに気づいたのは、すべてを見据える力は自然を理解する力としてより適しているということだった。それは人類が支配する世界において有益な、恐怖を生存する力へと変える進化のプロセスである。私たちが生存本能に頼らないようになった昨今、意識することを強いられない人たちは、その代わりにただ現状に満足するようになってしまうのかもしれない。
イングルウッドで過ごした幼少期について語るとき、私は気を遣う。出身を恥じるつもりはない。社会はとっくに州間高速道路10号線以南の地域に醜いイメージを抱いている。私が主張したいのは、その責任はその地域の住民にはないということだ。それはただ、ある考えが根強くはびこる環境に人びとが存在してきた結果であるに過ぎない。アメリカには「レッドライニング(赤線引き)」と呼ばれる、特定地域の住民には融資をしないという差別を組織的に行ってきた恥ずべき歴史がある。ロサンゼルスもその例外ではない。かつては肥沃な土地が豊富だったサウス・セントラルは、コンクリートで舗装され、産業化が進み、型にはめられた夢の郊外となるはずだった——白人層に見捨てられるまでは。のどかだったこの地域は油田や高速道路、そして当時成長していた航空産業に縛られて、黒人の人口が増えつづける住宅地となり、不動産王にとっての経済的な魅力を失った。彼らにとってこの郊外は、黒人によって「汚された」夢となり果てたのだ。黒人たちは互いを信じ合い、健全な地域社会を築こうと懸命だったが、この郡がそれに興味を示して支援することはなかった。保健や教育に関する乏しい政策、悪化する経済と社会的基盤などのせいで、現在でも苦しい闘いはつづいている。サウス・セントラル・ロサンゼルスや似たような場所にある栄養不足の地域には、素晴らしいアウトドアを利用する手段もほとんどない。こうした要因が自然の場所とつながる機会をさらに少なくし、遠ざけてしまう。
ハイ・デザート(高地砂漠)は、類まれな感覚を与えてくれる。人間の過失や汚染に対して高ぶった私の意識を澄んだ平静な心の新たな発見に変えたのは、そんな静寂な乾いた土地だった。私は漆黒の夜空に輝く星を見上げ、その瞬間に自分の存在の小ささを理解すると同時に、宇宙とその壮大な未知の世界への畏敬の念を抱いたことを思い出す。頭上の空がこれだけの感覚を与えてくれるのなら、足元に広がる大地は何を明らかにしてくれるのだろう。そのとき私は探求心に火をつけ、大地が与えてくれるものに対する尊敬と自信を得た。現代的な交通手段が限られる距離と広い空間という場所に生きることで、自分が生まれつき有していたものの価値を見出した。私は走るために生まれてきたのだ。
大地と私の身体の絆は固く結ばれたが、その新たな情熱に没頭する能力に影響しかねない、外的要素にも気がついた。反抗的な思春期には耳を傾けようとはしなかったものの、確実に感じ取っていた恐怖。非常に残念なことに、大人になって通常の白人傾向の場所で過ごす時間が多くなるほど、それらの恐怖は現実味を帯びてきた。そのような空間に足を踏み入れた私は、ちょっとした視線や嫌悪的な発言のような、他の人間が作り出す不快感にさらされた。そのような発言は、いったいどの時点で実際に行動に移されるのだろうか。それを考えるのは激しく恐ろしい。
私は自分が愛するものと、暴力の可能性とのあいだで苦悶する。それは私が踏みしめる土との特別な絆を忘れるほどで、自分は少数派でしかない場所にいる黒人であるという現実に、一気に引き戻される。言葉を交わすことなく軽く頷くだけで意識が共有できるランナーは、こうしたトレイルにはいるのだろうか。現代版『NegroRunner’sGreenBook(黒人ランナーのためのグリーンブック)』はあるのだろうか。
私は何千キロもの距離を走ってきたが、嫌な経験をしたのは数えるほどだ。それなのに、その数少ない経験で自分を典型的な犠牲者に陥れ、トレイルから追い出されて街へと戻ってしまう。それは観察力の鋭い体系的なイデオロギー、もしくは象徴主義からくる。黒人はスポーツ界で評価されているが、それは他者が黒人に定めた場所に限られている。そのような場所でさえ、そこが安全ではないことは、社会が繰りかえし証明している。その事実が私の健全性にとって心理的に弊害となり、恐怖心や社会の誤解を克服することを妨げようとする。
私はメディアが描写してきた、アウトドアという場所に属すべき典型的な人間像を無視することを選んだ。それは紛れもなく黒人の存在を消去した物語だからだ。私はこうした場所で堂々と、頭を高く上げて地に足をつけ、その描写を一歩一歩変えていこうと思う。私がトレイルに姿を現すことで、私のあとにつづくランナーたちのために足跡を残し、それが次々と波のような効果を起こして、最終的には私たち皆の不安を癒す。
母なる自然は不動であり、私たちは間借りしている居住者に過ぎない。自然がどの人間に属するのかなど、自然には関係のないことだ。むしろ、私たちが自然に属し、自然の一部であることを理解すべきである。自然のなかを走ることで私たちは人間であることから自由になり、それは人間が創り出した場所や属するという考え方、また所有権や所有物という概念とは無縁だ。自然、そのバランスの複雑さ、循環、複雑に織りまざる要素、そしてそこに住むすべての生物たちが共存するのを観察することで、逆境にあっても人間として生き残る能力について多くを学ぶことができる。
大人になるために長い歳月と距離をかけた私は、最初の故郷であり、現在の居住地でもあるイングルウッドへの理解を深めるようになった。自然というこの母親は機能不全に陥っているにもかかわらず、私に自己の不安と向き合い、山や谷を克服するエネルギーへと変える勇気を与えてくれる。私がここに存在することを自覚できるようにと。山頂から見渡せば、私のような人間もこうした場所に存在することがはっきりとわかる。その景色を得るためには、もっと高いところへ登るしかなかった。