2013/05/02 - 2013/05/11
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montsaintmichelさん
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フィレンツェ3部作の有終の美を飾るのは、フリータイム(5月6日午前中)に訪ねたドゥオーモ内部とサン・ジョヴァンニ洗礼堂です。
ドゥオーモは、団体行動では外観見学だけでした。団体行動のあった日曜日は、13:30からしか内部見学ができないのでやむを得なかったと思います。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂は、日本人ツアーの旅程では滅多に入場できない所だと聞いていましたので、気合を入れてレポいたします。
<日程>
5月2日:出発(関空~ローマ経由ミラノ)アリタリア航空(AZ793便)
アタホテル クァーク宿泊
5月3日:午前 ミラノ観光
午後 ヴェローナ観光
アマデウス(ヴェネツィア本島)宿泊
5月4日:ヴェネツィア観光
午後 フィレンツェへバス移動(245km)
クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (2連泊)
5月5日:午前 フィレンツェ観光
ドゥオーモ外観→シニョーリア広場→ウフィツィ美術館
(1時間)→サンタ・クローチェ教会→革製品ショッピング→
ランチ後、ピサへ移動(80km)
奇蹟の広場→ドゥオーモ内部→斜塔入場→フリータイム
クローチェ・ディ・マルタ宿泊 (2連泊)
5月6日:午前中フリータイム(ドゥオーモまで団体行動)
サン・ロレンツォ教会→メディチ家礼拝堂→
サンタ・クローチェ教会→ドゥオーモ内部見学→
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
ランチ(中華料理)後、
イタリア版新幹線「イタロ」でナポリへ
ヌオーヴォ城(車窓)→ポジリポの丘(下車)→卵城(下車)
ホリディイン・ナポリ宿泊
5月7日:アマルフィ海岸ドライブ(3時間半)
午後 ポンペイ遺跡見学
水中翼船でカプリ島へ移動(45分)→フリータイム
レジーナ・クリスティーナ宿泊
5月8日:カプリ島観光
午後 ナポリ港着後、ローマへバスで移動
シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月9日:ローマ市内観光
シェラトン・ゴルフ・パルコ・デ・メディチ宿泊(2連泊)
5月10日:午前 ローマ市内観光
観光後、ローマ空港へ
アリタリア航空(AZ792便)で一路関空へ
5月11日:関空着
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
ドゥオーモ広場
サンタ・クローチェ教会を後にし、ドゥオーモ広場に向かいます。今度は、ドゥオーモ内部の見学です。 -
ドゥオーモ広場
ジョットの鐘楼の工事なのか清掃なのか、はたまた急病人なのでしょうか、はしご車のようなものが出動して対処していました。はしご車といっても消防車のようにはしごがあるものではなく、油圧シリンダだけのものです。先端にバスケットが付けられています。高さ85mもあるので大変なことでしょうね。 -
ドゥオーモ広場
ドゥオーモの前では観光用の馬車が客待ち顔(?)です。
歴史的建造物を見ながら石畳の街を颯爽と走り回るのは、さぞかしスリリングなことでしょうね。
ドゥオーモの入口は、正面に向かって右側の小扉です。事前情報では入口は左側の小扉というものが多く、今回は特別だったのかもしれません。また、ドゥオーモ内部見学も結構列を作るとありましたが、10人位しか並んでおらずラッキーでした。内部の人数制限を最大800人としているようで、シーズン中のお昼前後は30〜60分待ちもあるそうです。 -
ドゥオーモ内部
内部は天井が高く、開放的かつ簡素なゴシック様式です。
写真では人が写っておらず伽藍堂のように見えますが、何かの催しがあって中央部が立ち入り禁止になっています。おかげで側廊に通路があるのですが、そこだけ押し合いへし合いの超満員状態です。 -
ドゥオーモ内部
大理石の床の幾何学模様にうっとりします。人が立ち入っていない分、開放感に満ちています。
放射状の模様の中心点には「OPA」という文字が読み取れます。ポルトガル語の驚いたり感嘆したりする時の間投詞だと思いますが、Pに横線が入っていて十字架を暗示しています。故に、もっと深い意味が込められているのだと思います。 -
ドゥオーモ内部
左側壁には、2つの騎馬像のフレスコ画があります。
こちらの絵は、アンドレア・デル・カスターニョ作「宿敵シエナをサン・ロマーノの戦いで破った傭兵隊長ニッコロ・ダ・トレンティーノ」。
なんとなく違和感を覚えたのでよく観察すると、2頭の馬はどちらも同じ側の足を同時に出しています。人であれば右手と右足を同時に出すようなものです。事実、こんな歩き方はあり得ないと酷評されたことがあったそうです。しかし、その後、実はこうした歩き方が当時の軍馬の調教に存在していたことが分かり、作者の汚名返上に繋がったそうです。
こんな理不尽な調教をされるなんて、馬も大変ですね! -
ドゥオーモ内部
こちらの絵は、パオロ・ウッチェッロ作「イギリス人傭兵隊長ジャン・ホークウッド」。 -
ドゥオーモ内部
ドメニコ・ダ・ミケリーノ作『神曲を示すダンテ』
ヴァザーリによれば、ドメニコはフラ・アンジェリコの弟子ですが、その作風はどちらかといえばアレッシオ・ヴァルドヴィネッティに近いそうです。詩人ダンテの左には「神曲」の世界が表され、右には城壁に囲まれたフィレンツェの町があります。ダンテはフィレンツェの金融業を営む小貴族の家に生まれ、政治上ローマ教皇派グエルフィ党に属していました。グエルフィ党が自立政策を掲げる富裕市民層の「白党」と教皇に靡く封建貴族支持「黒党」に分裂し、敗北した白党のダンテはフィレンツェから追放されてしまいます。ダンテが城壁の外側に描かれているのは、「追放された身」であることを示しているのでしょう。城壁の中には、右からジョットの鐘楼、ヴェッキオ宮殿の塔、大聖堂のクーポラがあります。クーポラの左の鐘楼はバディア・フィオレンティーナの鐘楼と思われますが、上部に天使の像が置かれているのが現在と違う点。そして一番左には「風見獅子」のあるヴェッキオ宮殿の塔。このようにフィレンツェを代表する建築物が描かれているのですが、実はこの絵には時代錯誤があります。なぜならダンテが生まれたのは1265年、大聖堂クーポラが完成するのはその170年後のことなのです。
『神曲』は彼岸の世界への旅の様子を表わした作品で、地獄、煉獄、天国を巡って様々な人に出会うという壮大な物語。それを1万5千行という長大な詩で表したものです。ダンテの左後方にはバベルの塔を彷彿とさせる煉獄山が描かれています。調べてみると、煉獄がすべてこの形をしているのではなく、ダンテの『神曲』に登場する煉獄をイメージ化するとこの形がピッタリなのだそうです。煉獄は、救われない者が堕ちる地獄とは違い、小さな罪を犯した者や罪の贖いをすれば天国に行ける者が浄化を行う場所。ダンテの神曲によれば、煉獄は台形状の山で幾つかの段階に分かれ、亡者は罪を浄めつつ上へ登り、やがて山頂(天国)に辿り着きます。山頂は、かつて創世紀の後にあったとされる黄金時代に住んでいた所です。黄金時代は、理想郷アルカディアのように労働も死も憎しみもない時代です。山頂のイメージとしては「エデンの園」なのでミケリーノもアダムとイヴで表現しています。 -
ドゥオーモ内部
ようやくクーポラの一部が顔を覗かせる位置まで辿り着けました。しかし、前方には人の山ができています。
ここから「ペルメッソ(すみません、通してください)!」を連発しながら人だかりの中を最前列まで進み出ます。 -
ドゥオーモ内部 クーポラ
そして、そこからクーポラを見上げるとこんな感じです。
当初、大聖堂のクーポラには洗礼堂のような燦然と輝くモザイク画が施される計画だったそうです。経済的理由で16世紀に断念され、代わりにフレスコ画『最後の審判』が描かれました。天変地異が人類を襲い、その最後の日にイエスが再来。この時、既に亡くなった人々はイエスが復活した年齢で生き返り、生きている人々と共に神の前で審判を受けます。大天使ミカエルは、魂の重さを量り、群集を天国あるいは地獄へと振り分けます。最下層に地獄、その上に天国を配し、上に行くほどきれいな服を纏って幸福そうに描かれています。一方、下方では地獄に堕ちた人々が、劫火の中で悪魔に槍で刺されたり、皮を剥がれたり、内臓を引っ張り出されたりしています。 -
ドゥオーモ内部
主祭壇です。残念ながら柵が設けられており、これより先には立ち入れません。
クーポラの下には3つのトリブーナ(後陣)が北、東、南に放射状に設けられ、各々放射状に5つの礼拝堂を備えています。
2つのトリブーナの間に、『ミサの聖具室』と言う小部屋があります。聖具室の内部は木のモザイク仕立ての騙し絵になっており、1400年代の芸術家が木工象嵌細工にかかわったそうです。制作全体を統括したのは木工師ジュリアーノ・ダ・マイアーノでしたが、準備素描の一部が金工細工師マーゾ・フィニグエッラに依頼されました。いろいろな色彩を持った木材を巧みに象眼し、モノトーンで仕上げた様はまるで絵画のようだそうです。
木工細工の美しさは比類なきものですが、実はこの部屋、人命救助の役目も担ったそうです。メディチ家と反目するパッツィ家の血気の盛んな若者がメディチ家ロレンツォを暗殺しようと、大聖堂は凄惨な殺人現場となりました(パッツィ家の陰謀)。ミサに紛れ込んだ刺客は、司祭が聖体を掲げるのと同時に刃物で襲いかかりました。ロレンツォは、傷を負いながらもこの聖具室へ逃げ込んで難を逃れました。しかし、逃げ送れた弟ジュリアーノは無残にも殺害されてしまいます。 -
ドゥオーモ内部
主祭壇上には、ルネッサンス時代の芸術家ベネデット・ダ・マイアーノ作 木製の『十字架像』(1490年)が掲げられています。彼は、ジュリアーノが依頼した大聖堂の聖具室の寄木細工に携わり、その大部分を制作しています。また、サンタ・クローチェ教会の説教壇を制作したのも彼です。晩年はあまり作品を作らず、『十字架像』の他、わずかしか知られていないそうです。 -
ドゥオーモ内部 クーポラ
このフレスコ画を最初に手がけたのは、マニエリズム画家ジョルジョ・ヴァザーリ。彼は、建築家としてはウフィッツィの建造を行ない、文筆家としてはフィレンツェに集った芸術家の伝記をまとめた「列伝」の著者として知られています。
ヴァザーリは1572年に亡くなるまでクーポラのフレスコ画を描き続けましたが完成に至らず、後任にフェデリーコ・ズッカリが選ばれ、1579年に完成させました。現在のものは、1995年に16年間に及ぶ修復を終えたものだそうで、昔日の明るさを取り戻して燦然と輝いています。 -
ドゥオーモ内部 クーポラ
後任ズッカリは聖なる空間に、ちゃっかり自画像を描き込んでいます。フレスコ画は、8つの二等辺三角形の頂点を閉じる形に構成されています。西側にある、最下部に角の生えた蝙蝠の羽を持つ怪物が、ピンク色の背景の中央に大きく描かれている箇所があります。この最上部に群集が描写され、その中の右上、一際高い所に貴族のような煌びやかな服を纏い、場違いにもパレットを持った人物がいます。これがズッカリ。東側の光臨に包まれたキリストと対峙する面、どの人物よりも高き所に自画像を認めるとはたいした輩です。 -
ドゥオーモ内部
トリブーナにあったステンドグラスのひとつです。 -
ドゥオーモ内部 入口方面
何の目的で立ち入り禁止となっているのか、首を傾げたくなります。
中央には、祭壇画ポリプティクがポツンと1枚置かれているだけです。立ち入り禁止のロープからは距離があるので、祭壇画もよく見えません。 -
ドゥオーモ内部 入口方面
正面にあるバラ窓のステンドグラスは、ロレンツォ・ギベルティの手になる珠玉の作品です。 -
ドゥオーモ内部 24時間時計
ファサードの裏面にあるのはフレスコ画の大時計。1443年に画家パオロ・ウッチェッロが制作したものです。24時間時計ですが、現在の時刻とはズレています。なぜなら、この時計はその昔フィレンツェで使われていた「フィレンツェ時」を指すからです。フィレンツェの一日は、日没と共に大聖堂で行われるミサで始まりました。つまりこの時計は、ミサ開始の時刻から何時間経過したかを指しています。 この時計は、古代の日時計から機械仕掛けの時計への変遷を偲ばせ、基点は一番下、針はひとつ、また針は反時計回りです。イタリアでは18世紀までよく使われていたタイプだそうですが、現存するものは希少でそのうちのひとつだそうです。 -
ドゥオーモ内部 24時間時計
正方形の中に円が描かれて時計盤となっています。四隅には福音書記者4名が描かれています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
大聖堂付属の洗礼堂。八角形のクーポラ構造で、ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築のひとつ。フィレンツェで最も古い聖堂で、フィレンツェの守護聖人ヨハネ(聖ジョヴァンニ)を祀っています。
建物の原型は、ローマ帝国時代に軍神マルスに捧げられた1世紀の神殿。5世紀初頭にキリスト教の聖堂になり、1059年に法王ニコラウス2世の奉献で現在の美しいロマネスク様式建造物になりました。屋根全体は1128年、頂頭部のランターンは1150年、司教座のある内陣は1202年に完成。大聖堂の建立に伴い、礼拝堂に入る前に洗礼を施すお堂として用いられるようになりました。昔の洗礼は鉢の中で全身を水に浸したため、このような大きな洗礼堂が必要だったそうです。この洗礼堂で洗礼を受けたダンテは、『神曲』地獄篇で「わが麗しき聖ジョヴァンニ」と認めています。
八角形の平面図を持ち、直径は25・6m。外壁は、カッラーラ産白大理石とプラート産緑大理石(蛇紋岩)で幾何学模様が表現され、上中下の3層に分かれています。1層目は円柱と柱、2層目は八角柱とアーチと窓が並び、最上部は縦に溝がある古代風の付け柱で仕切られています。天井は13世紀のモザイク画『最後の審判』(八角錐の3片)の他、キリストの栄光と旧・新約聖書にまつわる多くのシーンが描かれています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
ドゥオーモ内部見学の待ち時間がなかったため、集合時間まで30分程あり、洗礼堂に入ってみます。
洗礼堂は、通常、平日の開館時間は11時15分からなので、午前中にフィレンツェ観光を済ませることが多い日本人ツアーの旅程では入場できる機会が少ない観光スポットだそうです。
因みに、チケット(5ユーロ)売り場は、北側扉(入口)の向かいの建屋の通路の中です。そこではクーポラやジョットの鐘楼に登るためのチケットも販売しており、列をなしています。その奥には、公衆トイレがあります。時間が許せば、ピザンチン様式の面影を今に遺すこのお堂に、ぜひ立ち寄ってみてください。
内部の床は一面のモザイク模様、壁面は大理石による幾何学模様が施されています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂「最後の審判」
イエスの両手両足には十字架の上で受けた傷が窺えます。背後の青い虹は「天の世界」を表わします。捻った足の位置やはっきりとした服装の襞が、真正面を向くイエスの固い表情を中和しているように思えます。「最後の審判」の日がやってきた時、人々の行き先は天国と地獄に分けられるのですが、「洗礼を受けていない者」は天国に行けないとされています。この大きな「最後の審判」が洗礼堂の天井に大きく描かれている理由は、洗礼という行為を奨励する意味が強いと思われます。モザイク画で最後に制作されたのがマトローネオ(2階席)の部分で、1300〜1330年のもの。四角い場面に聖人や天使の姿が表わされています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
ここにもイエス磔刑像が主祭壇に並んでいます。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
小さく長方形に張り出したアプシスの天井は、モザイク画で埋め尽されています。さらには、壁のフリーズにもさりげなくモザイク画が配されています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
あまりにも濃密なモザイク画の迫力に、何処から見るべきか暫し茫然とします。
13世紀に制作されたもので、フィレンツェの画家たちがカルトン(原寸大の下絵)を描きました。その中にはチマブーエやコッポ・ディ・マルコヴァルド、メリオーレ、マッダレーナの師匠がいたそうです。モザイク画制作は、ヴェネツィアのモザイク師の手ほどきを受けている模様です。最初の装飾は後陣から始まったそうです。僧侶フランチェスコ・ヤコポの作品です。中央に「神の子羊」を置き、その周辺には8人の預言者(モーセ、イザヤ、アブラハム、イサク、ヤコブ、ダニエル、エゼキエル、エレミヤ)がいます。この円を四方からテラモン(男像柱)が支え、両側には洗礼者ヨハネと聖母子が王座に座っています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
イエスの右下。地獄の場面には、中央に閻魔大王の姿が描かれています。一度見たら忘れられない、強烈なインパクトのある閻魔大王です。
写真を拡大して見る方法を以下に記します。
写真をクリックすると画面が切り替わります。もう一度、写真をクリックすると拡大され見やすくなります。
戻すときは、画面左上の←(戻す)を2回クリックすると元の所に戻ります。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
モザイク画は一番下の層から上に向かって順に、「洗礼者ヨハネの物語」、「聖母子の物語」、「ヨセフの物語」、そして「創世記」です。
下から4層目、一番左が「天地創造」、その右が「アダムの創造」、そして「イヴの創造」と物語は続きます。
同時期のヴェネツィアのモザイク画がアダムとイヴ共に丸顔でずんぐりむっくりなのに対し、この礼拝堂のものは精悍かつスリムで、今風に言えば草食系っぽい感じがしないでもありません。これがフィレンツェの感性なのかと驚きます。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
イヴが蛇に唆されて「善悪の知識の木」の実を食べる所から楽園追放へと展開されます。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
一番下の層の左端は、ヨハネがイエスに洗礼する場面です。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
下から二層目の真ん中は「最後の晩餐」です。裏切者ユダが跪いてイエスに謝罪しています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
下から4層目の右端は「ノアの方舟」です。魚の絵はヴェネツィアより明らかに稚拙なのはさておき、構図といいタッチといい、現代の絵本などの挿絵に通じるところがあるように思えます。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
これは「サロメ」の一場面のズームアップ。牢屋に閉じ込められた洗礼者ヨハネが首を斬られるシーンです。
ガラリアの領主ヘロデ・アンテパスは、誕生祝の席で連れ子のサロメが見事な踊りを披露したのを喜び、何でも欲しいものをやろうと約束します。ところがサロメが望んだものは、母親の意を汲んだヨハネの生首だったのです。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
サロメがヨハネの首をお盆に載せ、母親ヘロディアに渡すシーンが生々しく描かれています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 対立教皇『教皇ヨハネス23世墓碑』
お墓はルネッサンス期の芸術家ドナテッロとミケロッツォが1422〜1428年にかけて制作し、高さ7mを超える大きな石碑となっています。ルネッサンス期の記念碑的なお墓のプロトタイプです。
下層には花輪と智天使が挿入されています。その上には貝殻状に象ったニッチの中に「信仰」「慈愛」「希望」の「対神徳」の偶像。そして紋章(中央は教皇の紋章)を間に置いた4つの持ち送りが支えている部分に遺体が納められています。その前面にはプット(子供の天使)が座り、2人の間に碑文が刻まれています。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 対立教皇『教皇ヨハネス23世墓碑』
棺の上には、ドナテッロ作ブロンズ製のヨハネ23世像が横たわり、身体を包む衣装の襞の柔らかさにドナテッロの卓越した技術が窺えます。少し眉をひそめた表情のコッサは、頭を軽くこちらの方に傾けています。実は像が眠るベッド自体が前傾しており、下からも見やすいように工夫されています。
ベッドの上には大理石の天蓋があり、その下には貝殻の上に聖母子像が佇んでいます。この部分もドナテッロの作品です。天蓋の内側にはザクロを象った模様があり、「永遠」のシンボルなのだそうです。 -
サン・ジョヴァンニ洗礼堂 対立教皇『教皇ヨハネス23世墓碑』
貝殻を象ったニッチの中にある「信仰」「慈愛」「希望」の「対神徳」の偶像。 -
スクディエリ
洗礼堂の西側(ドゥオーモの反対側)の右端にある老舗カフェです。
煌びやかなシャンデリアの下、カプチーノや店の自慢のトルタやブリオッシュが味わえます。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
教会を後陣側から写したものです。
中華料理のランチを終え、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅から「イタロ」に乗ってナポリへ向かいます。
今までイタリア料理が続いていたので中華料理でお箸が使え、ホッとしました。また、ジャスミンティーも最高でした。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
列車でSMN駅に降り立つと、こんな景色がお出迎えしてくれるのでしょうね。
また、空模様が怪しくなってきました。「イタロ」の運行が遅れなければいいのですが…。 -
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
SMN駅構内です。改札口はなく、開放的なステーションです。
平日の昼下がりですが、結構混雑しています。写真右手に待合ロビーがあり、ベンチが置かれています。 -
インテルシティナイト
イタリアの国鉄は正式にはFerrovie dello Statoといい、列車やチケットには略称のFSという文字が刻まれています。
これはイタリア主要都市間を結ぶ夜行列車です。個室寝台、クシェット、座席の編成となっており、一部ではシャワー、トイレ付個室寝台「エクセルシオール」も編成されている場合もあります。
ミラノから南イタリアへ南下する際に感じるのは、時代の流れです。ミラノはイタリアの最先端をいくメトロポリタンですが、ここを起点に南に下るに従い、景観も人物像も時代を過去へと遡っていくような錯覚に陥ります。車窓に映る景観は、まるで歴史を巻き戻しで見ているようで興趣が湧きます。南イタリアには古き良き時代が今尚顕在で、タイムスリップの趣があります。 -
フレッチャロッサ
フレッチャシリーズには3タイプの列車があり、フラッグシップにあたるのがこのフレッチャロッサです。2006年に導入された旧ユーロスターの新型車両ES-AV:ETR500です。最高時速300kmでミラノ/ローマ間を15分に1本、3時間の速さで繋いでいます。
2008年に内外装のリニューアルが行われ、車体外装は赤をベースとしてシルバーグレーのツートンカラーを組み合わせた鮮やかなカラーリングです。Frecciarossa(フレッチャロッサ=赤い矢)の愛称が与えられています。 -
フレッチャアルジェント
旧ユーロスターの新型車両ES-AV:ETR600です。フレッチャシリーズの次男に当たるのが、フレッチャアルジェントです。最高時速250kmで運行し、従来路線ではペンドリーノ(振り子)機能を使ってカーブでも速く走行できるようになっています。「アルジェント」はイタリア語で「銀」の意味で、車両にシルバーのイメージカラーが多く使われています。 -
イタロ
我々が乗車するイタロ(Italo)です。イタリアで2番目となる鉄道会社NTV(ヌオーヴォ・トラスポルト・ヴィアッジャトーリ)によって2012年4月から運行が開始されています。イタロは赤い車体が印象的な最新鋭の技術を搭載した列車で、最高時速360kmでイタリアの主要都市間を疾走します。
精悍なフォルムはさすが美の国イタリアというべきか、英国が誇るデザイン&カルチャー誌「ウォールペーパー」の2013年度デザインアワードを受賞しています。デザインはフェラーリが請け負ったそうですので、優れたデザインをじっくりと堪能してください。
しかし、デザインの秀逸さとは裏腹に、車内設備のトラブルについては枚挙に暇がありません。特にトイレのトラブルは日本人にとっては致命傷です。我々が乗った車両では空調も不調でした。また、日本の新幹線との運行システムの差は歴然で、遅延は当たり前だそうです。時間に余裕を持たせて計画されるのが得策です。
3部作の長編となったフィレンツェともこれでお別れです。「イタロ」は一路ナポリへと向かいますが、次回は暫く棚上げにしていた⑧ピサ編をお届けします。
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