2012/11/24 - 2012/11/24
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たびたびさん
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初日の小松から、二日目は敦賀。
ここは、かつて、シベリア鉄道を経由して、ヨーロッパとつなぐ「欧亜国際連絡列車」の発着駅として賑わった時代があるようです。私としては、日本海側の玄関港という意味では、中国・満州とか、日中戦争の係わりがあるのかと思っていたので、少し、意外な感じでしたが。(舞鶴と混同していたかも)
街全体は、門前町のように気比神社が中心であり、金ヶ崎は南北朝や戦国期の古戦場。要領がつかめず、ちょっと無駄にうろうろしてしまったきらいはありますが、こういう街は何かと文化の蓄積が厚いもの。いくつもの視点で、楽しめる街だと思いました。
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今日は、一日かけて敦賀を歩き倒します。
早朝、敦賀駅前すぐ。なにやら変わった銅像がありまして、これは、都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)の銅像だそうです。額に角の生えた人が越のケヒの浦に着いたとされて、敦賀の地名の起源になったのだそうです。日本書紀にもあるので、出自ははっきりしているのですが、地元の人も知っているような知らないような。しかし、何か、目につく銅像ではあります。 -
敦賀駅から、コミュニティバスで、まずは気比の松原へ。
この松原は、三保の松原(静岡)、虹の松原(佐賀)と並ぶ日本三大松原の一つ。国の名勝に指定されています。遠くから見ると、こんもりしていて、深い森のよう。でいて、中には落葉樹もちらほら生えていまして、この時期、きれいに紅葉していました。
砂浜では投げ釣りを楽しむ人もいて、のどかな風景です。 -
ただ、実は、本当の目的地は常宮。
バス停「敦賀こどもの国」から、敦賀半島沿いに片道4キロちょっとの距離を出発です。
ちなみに、常宮へは、敦賀の駅前から常宮線というバス路線があるのですが、朝7時発のバスを含めて一日三本しかないのです。 -
バスの運転手さんからは、事前に、「遠い道だけど、眺めはいいよ」と教えられていた通り、眺めは、なかなか。
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気比の松原を見下ろしながら出発し、
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敦賀湾の対岸には金ヶ崎の火力発電所が見えるし、途中、敦賀二見と呼ばれる弁天岩も見えましたが、国道からだとはるか崖の下のような場所。
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とても近づけるような感じではありませんでした。木の間からちらりと見るのが精いっぱいでした。
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しかし、そこからも遠い、遠い。
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いくつもの、湾を越えて行きます。
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気比の松原から1時間ほどで、やっと到着。
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ここに大谷吉継が朝鮮の役で持ち帰ったという国宝の朝鮮鐘があります。
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正面鳥居の先はすぐが海。こんな神社は、宮島とかを別にすれば、なかなかないかも。
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石の鳥居をくぐって、進みます。
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本殿の周囲は、ちょうど紅葉が盛り。
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833年という年号も入って、新羅の時代のものという古い鐘です。ただし、現在は非公開。韓国との関係に配慮してのことだそうです。
この時期は、紅葉が盛り。見事な紅葉でした。 -
敦賀駅から常宮に行くのに、一番近いバス停がこの「敦賀こどもの国」。
ここから歩き始めたのですが、やっとの思いで帰ってきました。釣鐘も見られず、結局は歩いただけになったかもしれませんが、せっかくなので、ちょっと寄ってみます。
芝生の広場に、ブランコや滑り台なども置いてあって、近所の親子連れがいて、けっこう手軽に遊べる公園みたいでした。建物の中でも、遊べるスペースがたっぷりあるのですが、敦賀原発の地元だけに、原子力発電の広報のための展示物などもあって、複雑な気持ちで見てしまいました。
今度は、金ヶ崎に移動します。 -
うまく、海岸線を行くバスがあって、直接、移動できました。
これは、奥井海生堂。永平寺のご用達を務める老舗だそうで。これは、金ケ崎にある本社工場店舗です。 -
入って、呼び鈴を鳴らすと店員さんが出てきて応対してくれました。
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買ったのは、基本商品の塩昆布。これが、旨味が濃くて、塩加減も絶妙。とてもうまくて、以来癖になって、食べております。
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ここは、金前寺。
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月いづこ 鐘は沈る うみのそこ
芭蕉の句碑です。
時は、南北朝時代。
新田義貞は金ヶ崎に城で足利尊氏の軍に攻められて敗走。後醍醐天皇の皇子尊良親王、義貞の長男である新田義顕は、この金前寺の観音堂にて自害するのですが、この戦いの際、義貞は陣鐘を海に沈めたとされます。 -
さらに先を登ると金ヶ崎城址に創立された金ヶ崎宮。恒良親王と尊良親王を祀ります。
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白いさざんかが、もうきれいな花を咲かせていました。
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ただ、こちらは紅葉が盛り。
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黄色の銀杏と赤い紅葉のコントラストが
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まぶしいくらい。
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イチオシ
もう紅葉なんか終盤のはずなんですが
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これは意外な
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紅葉狩りになってしまいました。
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で、金ヶ崎宮の裏手をさらに15分くらい登ったところ。
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金ヶ崎城址を目指します。
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半島は、周囲が急な断崖に囲まれていて、
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その際を登って行きます。
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さて、頂上は、真下が断崖。海に面していて、火力発電所が眼下に見えるし、眺めはいいのですが、風の強くて怖いくらいの場所でした。
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イチオシ
ここは、南北朝の戦いもありますが、戦国時代の金ヶ崎の戦いがさらに有名でしょう。
朝倉義景を攻める織田信長が裏切った浅井との挟撃の危機に瀕し、秀吉が必死の殿を務めたという歴史の場所。ここで、浅井の裏切を知り、電光石火の決断をした信長。今では想像もつかないような出来事ですね。 -
敦賀港の方に戻ってきました。
沖には、自衛隊の船ですね。 -
金ヶ崎緑地は、敦賀の港に面した広場のような海浜公園。敦賀港の開港100 周年を記念し、福井県の港湾整備事業として整備されたものです。海に向かって、右手には、金ヶ崎の半島が見えるし、赤レンガ倉庫や旧敦賀港駅舎。
向こうには、もう、人道の港 敦賀ムゼウムも見えています。 -
イチオシ
「人道の港敦賀ムゼウム」は、シベリアから救出されたポーランド孤児、ナチスドイツの手を逃れたユダヤ人難民など。献身的な努力によって、数多くの人命が救われた歴史の事実を伝えるもの。リトアニア・カウナスの領事代理杉原千畝がユダヤ人を助けるために、祖国の命令を無視して発給した“命のビザ”。眺めていると、涙がこみ上げてくるような感動があります。
これらは、シベリア鉄道でヨーロッパと結んでいた欧亜国際連絡列車の起点、敦賀の忘れてはならない貴重な歴史の1ページでもあると思います。 -
イチオシ
旧敦賀港駅舎は、シベリア鉄道経由でヨーロッパ諸国と繋がる「欧亜国際連絡列車」の発着駅として賑わった、当時の敦賀港駅駅舎を再現したもの。内部は、敦賀港が明治の後期に全国で22港が開港されたうちの一つであったことなど敦賀港の歴史や特に、「欧亜国際連絡列車」がインド洋経由のヨーロッパ航路の半分の日数17日間であったことなど、詳しい説明がありました。
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何となくは知っていたことですが、当時とはあまりに変わってい待っている現代では、ちょっと現実感がないような気持ちで見てしまうかもしれません。
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赤レンガ倉庫は、明治38年に紐育スタンダード石油会社によって建設された石油貯蔵用の倉庫。敦賀港駅からロシアを経てヨーロッパに繋がる欧亜国際連絡列車が走っていた時代、繁栄していた当時の敦賀を象徴する建物の一つです。赤レンガは横浜とか、あちこちあって珍しいものではありませんが、敦賀の往時を偲ぶ建物として、そういう目で見れば価値があるものだと思います。
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敦賀の街歩きをしていたら、お昼が遅くなってしまいました。ふと気づくと鯖寿司ののれん。鯖街道は京都と若狭をつないだものですから、鯖寿司はこちらが本場かも。
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イチオシ
期待を膨らませて、立ち寄りました。ただし、ご主人との鯖談義によれば、こちらでは、本来、鯖なんか見向きもしなかったもの。鯖寿司も海から遠いので、作られたもの。こんなに、海が近いのに、鯖寿司はなかろうと散々。
ただし、聞けば、京都からこちらにいらして30年余り。今では焼き鯖寿司とかが福井の名物となっています。して、鯖寿司の方はいかが。これは絶品。花折れ、いずうに勝るとも劣らない。脱帽のうまさでした。同じ技なら、こちらの方に分があると考えるのか、御主人の研鑽の賜物そのものなのか、深く考えさせられるような味わいでした。 -
元気も出たところで、市内散策を再開。
敦賀市立博物館は、現在、改装工事のために休館中でした。しかし、この建物は、昭和2年に大和田銀行の本店として竣工された歴史的建造物。ちなみに、大和田銀行は、敦賀の大商人であった大和田荘七によって設立された銀行で、福井銀行と肩を並べるほどの有力銀行だったということ。そういう意味では、往時の敦賀を偲ぶことのできる建物です。なお、前身の敦賀市歴史民俗資料館としての開館は、昭和53年。福井県指定有形文化財です。 -
近くの晴明神社。
敦賀で晴明神社なんて、意外でしたが、安倍晴明は下級官僚。地方に実際に赴いて、実務の仕事をすることが必要であったため、この地にも来たのではないかとのこと。4年間を過ごしているので、短くはありません。神社には、お世話をする女性がいて、奥に置かれた安倍晴明の彫ったという『祈念石』も教えてくれました。例の五芒星(ごぼうせい)の形でしたが、一種類ではなく、安倍晴明は五芒星をいろんな形で彫ったらしく、敦賀だけではなくあちこちに残っているんだそうです。 -
イチオシ
ところで、敦賀ヨーロッパ軒も近いんですね。
福井のヨーロッパ軒の話では、ここは福井のヨーロッパ軒のお弟子さんとのことでしたが、どうでしょうか。食べ比べないわけにはいかないでしょう。
ただ、こちらは、びっくりするような立派なビル。結婚式の披露宴でもできそうなビルですね。ソースかつ丼は二階でいただきます。 -
比べて、違うところを言うと、こちらのソースかつ丼850円はロースなので、筋があったり、脂身があったり、ワイルド系。量が多いので、こうしたワイルド系は、私にはちょっときついです。ただ、よく見ると特製かつ丼1050円というのがあって、こちらがヒレなのかなあと思います。
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あとは、こちらはどんぶりにふたが付いていて、食べる時に、カツを置くことができます。しかし、それはどんぶりが小さいから。ほんの少し大きくすれば、カツを置く必要はないでしょう。福井のヨーロッパ軒では、ふたは必要ありません。ちょっと、マイナスの評価になりましたが、敢えて言えばの話ですので、よろしく。
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しかし、スイーツもまだこれからチェックしなければ。
コナコナは、敦賀市内にあるシフォンケーキの人気店。みかんを入れたシフォンケーキ、、まであって種類は豊富なんですが、私はプレーンなタイプを購入。ふんわり、飾らないシンプルな味わいを楽しみました。シフォンケーキは、いろいろいじらない方が良さが出ると思うのですが、その辺のちょうどいい加減をわきまえているといった感じでした。 -
私が店にいる間も、車で乗り付ける常連さんと思しきお客さんが来たり、人気店のようですね。
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隣りの紅屋さん。これも確かめておいたお店です。
こちらの名物は何ですかと尋ねたら、「求肥昆布」と「豆らくがん」との答え。せっかくなので、両方もらいました。 -
始めは、「豆らくがん」。らくがんにしては、粉が荒めで、香ばしい。おししいですね。おたふくのような顔の形なんですが、頬のふくらみがぷっくりと極端に盛り上がって、これも面白い。なるほど、自信を持って言うだけのことはありますと思って食べた次の「求肥昆布」。昆布の味わいがとてもさわやか。求肥に包まれて、さらに洗練された味わいです。うーん。二つともすごい。これは感服いたしました。
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ちょっと、疲れてきたところで、今度はみなとつるが山車(やま)会館。
ここでは、敦賀まつりで実際に使われる山車がメインです。 -
山車に飾られる人形は、本物の甲冑を着せること。顔には能面を付けることが特徴です。ということで、その甲冑、能面も二階に展示されており、他の山車ではない迫力が感じられました。
なお、スクリーンシアターでは、祭りの様子がビデオで放映され、最後に、本物の山車が登場するといった仕掛け。朝倉軍が実質的に壊滅した刀根坂の戦いをテーマにした山車は朝倉義景と山崎長門守が信長に迫って、いかにも勇壮。気楽に楽しめました。 -
周囲を飾る天幕に、
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実物の鎧、
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能面です。
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気比神社前の商店街をさらに歩いていると、酒饅頭のお店という天清。北陸を歩くと、酒饅頭の店が多いようで、ここもまた酒饅頭かと、ちょっとうんざりした気持ちでしたが、それでも何があるかわかりません。一応寄ってみることに。
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イチオシ
ところが、いただいた酒饅頭は、ふっくら、適度に歯ごたえがある生地に、生地とよく馴染んだ餡子の甘さ。小松の人気店「はまや本舗」に負けてません。地味な店構えでしたが、これは絶品です。さりげなく、すごいお店だと思いました。
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最後になってしまいましたが、市街中心部の気比神社へ。ここは、越前国の一宮。旧社格も官幣大社です。
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イチオシ
古来有数の津であった敦賀を控えて、海陸交通の神として崇敬され、大陸との交流もあって、遣唐使帰還の安全祈願や元寇の戦勝祈願なども行われてきたようです。ただし、目につくのは、大鳥居(重要文化財)。春日大社、厳島神社の大鳥居に並ぶ「日本三大鳥居」の1つだそうです。大きさは少し小さいように感じましたが、確かに雰囲気はあります。
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ここにも、名物「長命 水ようかん」の看板。しかし、これは歩き食べには向きません。
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で、買ったのは、栗蒸し羊羹。代わりに買ったものなので、そんなに期待はしていなかったのですが、さりげなくおいしいので、びっくりしました。甘さを抑えたというか、甘さはきつくないのですが、優しい味わい。同じものでも、何度も作っていると、技が磨かれておいしくなってしまうというような感じです。水ようかんが名物なので、同じ小豆の材料で、いいものが使われているのかもしれません。水ようかんのおいしさも想像できるようでした。
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せっかくなので、敦賀市在住でNHK文化センター講師もされているという高木栄子さんが創作した紙わらべ人形作品の展示館へも。
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作品は、昭和10年代といった設定の「ふるさとの原風景」。東京だと青梅に昭和をテーマにした施設がありますが、それに近いかも。しかし、作品は繊細ですし、驚くような細かなすずめなど、驚きの技法もちゃんと含まれていて、なかなかに見せてくれます。
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敦賀は、石田光成との友情で感動を呼ぶ猛将大谷吉継の街。この大谷吉継ゆかりの寺ということで訪ねました。標識にも大谷吉継ゆかりと書いてあるし、期待が高まります。
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しかし、お墓でもあるのかと思ったら、それは別のお寺。ここは、境内に敦賀城の遺構である礎石があるということ。敦賀城の東北部にあたるのだそうです。そこに、この寺が別の場所から越してきたもの。
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看板の表示とかとは違って、ちょっと、関係は微妙です。
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さすがに、これで街歩きは終了。あとはシンボルロードを、敦賀駅まで帰ります。
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この道の両脇には、松本零士の「銀河鉄道999( スリーナイン)」と「宇宙戦艦ヤマト」の名場面を再現したモニュメント像が点々と設置されています。。
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かなり長い道なので、相当の数だと思いますが、それでいて、一つ一つの場面の解説も本格的。
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これを機に松本零士のファンになる人もいるのではと思うくらいに充実しています。
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今夜の宿は、芦原温泉。福井駅を経由して、えちぜん鉄道のあわら湯のまち駅まで。しかし、福井駅からでも40分。けっこうかかりますねえ。
ちなみに、JRに芦原温泉駅がありますが、ここからあわら温泉だと約4キロありますので、こちらからでも最後は結局バスで行くことになります。 -
もうすっかり暗くなってしまっていましたが、地図で今夜の宿を確認します。
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宿は天隆。ここは、あわら湯のまち駅からだと、温泉街の一番奥の方のホテルでした。
ネットで申し込んで、寝るだけの素泊まり。着くとすぐに近くのセントピアあわらの割引券(半額)をいただきました。芦原温泉では、ほかに湯めぐり手形(1500円で、三か所入れる)というのもあるようですが、連休中なので、どこも利用はできないとのことでした。
暗い道を遅くなってから到着したのですが、若いおかみさんが、明るく応対してくれて、これには救われました。なお、部屋は、かつては豪華だったのかあという微妙なデザイン。暖房もよく効いていて快適でした。 -
セントピアあわらは、あわら温泉の中心的な施設。
天の湯、地の湯という二つの湯があって、時間によって男女が入れ替わりのシステム。私は、地の湯を利用しましたが、とても広いので、露天はなくても十分楽しめました。施設の中には、あわら温泉の歴史を説明するエリアもあり、湯上りにもちょっと楽しめます。
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